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■サッポロビール第1新価値開発グループ課長代理・後藤正明さん(34)
--7月に発売した第3のビール「北海道プレミアム」が好調だ。開発のきっかけは
「アイデアを練り始めたのは、リーマン・ショック直後の2009年ごろ。このころから、消費者は日常でのちょっとした自分へのご褒美を求めているように感じた。ならば、日常(平日)飲まれている第3のビールでプレミアムをやろうと思った」
--低価格の新ジャンル、第3のビールでプレミアムとは、一見矛盾するようにも見える
「確かにそれまでは『プレミアム=高価格』が一般的で、社内でも当初なかなか理解を得ることができなかった。だが、『プレミアム=お客さまにとっての価値が高い』という考え方を貫き、モニター調査でも手応えを感じることができたため販売に至った」
--同じ第3のビール「麦とホップ」とのすみ分けは
「第3のビールを味で2つに分けるとコク系とスッキリ系があり、『麦とホップ』はコク系。一方でボリュームが大きく成長率も高いのはスッキリ系。成長市場でお客さまのニーズをつかみたい」
--具体的にどこが「プレミアム」か
「良質でうま味成分が多い北海道産大麦麦芽と、希少な富良野産ホップを使用している。価格は『麦とホップ』と同じだ。何度飲んでも飲み飽きない味わいを目指し、香りにこだわった。プレミアムという言葉は使い古されているかもしれないが、浸透しているので最短距離で伝わると考えた」
--入社動機は「黒ラベル」のファンだったとか
「『黒ラベル』を生み出したサッポロの強みは歴史や職人かたぎ、そして今回の商品名にもつけた『北海道』というキーワード。最も愛するブランドである『黒ラベル』を超える商品をつくりたい」(金谷かおり)
【プロフィル】後藤正明 ごとう・まさあき 2007年4月サッポロビール入社。新価値開発本部所属。前職はエースコックでブランド、商品企画を担当。徳島県出身。
兵庫県豊岡市が進めるコウノトリ(国の特別天然記念物)の野生復帰事業に、全国の自治体から熱い視線が注がれている。同市では今年初めて、人の手がまったく入らない野生の「放鳥3世」が誕生。農薬に頼らない周辺の水田づくりと合わせて、国内屈指の環境先進地と評価が高い。観光や農業振興の起爆剤として新たなコウノトリの里を狙う各地の視察が相次いでいるという。
コウノトリの生息に欠かせないのが、ドジョウやカエルの餌場。こうした水生生物が育つきれいな水田がなければ、コウノトリも野生化できない。
豊岡市では、県立コウノトリの郷公園で人工繁殖などを行う一方、「コウノトリ育む農法」と名付けた稲作を推進。農薬や化学肥料に頼らない米作りと餌場の確保に取り組んできた。
農地整備と一体となった同市の野生化事業には、特に首都圏周辺の自治体が注目。かつて関東はコウノトリやトキの主要分布地だったこともあり、復活を目指す千葉、埼玉など4県29市町が自治体フォーラムを組織。豊岡にならった環境づくりを目指している。
中でも熱心に視察に訪れたのが千葉県野田市。ケージのある施設を整備し、近くコウノトリの人工飼育を始める予定といい、関東では“第2の里”にもっとも近い。
10月に視察団で来訪した同県いすみ市も「環境を良くして、コウノトリの拠点をつくりたい」(太田洋市長)と明言した。同月に訪れた栃木県小山市は豊岡の農業振興に着目、無農薬ブランド米の栽培を開始した。いずれもコウノトリをキーワードに観光や農業で町おこしを図りたい考えだ。
豊岡市の市民団体「コウノトリ湿地ネット」の佐竹節夫代表は「自然再生や地域づくりなど“豊岡流”が全国に広がり、誇らしい」と話している。
人気ラーメン店「どうとんぼり 神座(かむくら)」を運営する理想実業(奈良県広陵町)は、店舗展開を加速する。現在は大阪と東京を中心に24店舗を展開しているが、外食産業の不況が続く中、業績が順調に推移している点を踏まえ、一気に攻勢をかけて今後15年以内に700店舗を目指す。また、海外でも中国や韓国をはじめとしたアジアを中心に事業に着手、10年以内に500店を目指す。
神座は大阪・道頓堀の4坪(約13平方メートル)・9席の店から1986年にスタート。麺の上に白菜などを盛ったシンプルなラーメンながら、フレンチレストランのオーナーシェフを務めていた布施正人社長が開発した秘伝のスープが武器となって大人気店となり、2004年には東京への進出を果たした。女性の強い支持を集め、とくに渋谷店は業界の中でも屈指の人気店だ。年間の売上高は4億円にも上る。
店舗づくりにも、新たな取り組みに力を入れている。例えば今年4月に開業した東京・恵比寿の「KAMUKURA Dining」では「どうとんぼり神座」と新業態のギョーザバー「ギョウザキッチン」を組み合わせることで注目を集め、来客数はすでに15万人を超えた。理想実業の布施真之介取締役によると「デベロッパーなどに向けて効率的に提案できるように、今後の出店のあり方を全部詰め込んでいる」という。
多店舗展開に当たっては「スターバックスやマクドナルドの横に並ぶ形で出店したい」(布施取締役)という考えの下、商業施設のフードコートやロードサイド店が主力となるが恵比寿店のような新たなスタイルも積極的に導入する計画だ。理想実業の12年度売り上げ見通しは46億円。「国内のラーメン市場は1兆円に達するが、トップのシェアは3%に過ぎない。当社は10%を確保したい」(布施取締役)と積極的だ。
海外戦略については、台湾や香港の現地企業と組んで、FC(フランチャイズチェーン)形式によって店舗を展開する。当面の目標としては5年で100店舗を計画しており、布施取締役は「アジアでは米国のファストフードチェーンばかりが目立つ。アジアの食文化を守るという使命感で取り組んでいきたい」と意気込む。一方、ギョーザの持ち帰り専門店も東京を中心とした首都圏で開設する。当初は直営5店舗を開設し、その後はFC形式で運営し5年後には100店舗まで拡大する方針だ。(伊藤俊祐)
ニュージャージー州プリンストン市は今年、市内に生息する550頭のシカのうち250頭を冬の間に殺処分するために射撃手を雇った。かかった費用は5万8700ドル(約470万円)だった。サウスカロライナ州コロンビア市は100万ドルをかけて、市内の下水道からビーバーやビーバーが作ったダムを除去する作業を行っている。
2009年に起きた「ハドソン川の奇跡」。USエアウェイズ1549便のエンジンにカナダガンの群れが吸い込まれ、同機はハドソン川に不時着した。155人の乗客乗員は全員救助されたが、6000万ドルしたエアバスA320の機体は使い物にならなくなった。
ユタ州立大学のマイケル・コノバー氏によると、米国では、野生生物が作物や緑地、インフラに与えた被害の総額は年間280億ドルを超えている(シカと自動車の衝突だけで被害額は15億ドルに上る)。コノバー氏は人間と野生生物の間に起きる対立を研究している。
こうした衝突はときに、隣人同士の対立を引き起こす。イリノイ州ウィートンで小型犬が1頭のコヨーテに襲われ、安楽死を余儀なくされた。市の職員が業者を依頼し、この業者が4匹のコヨーテを殺処分した。すると、この業者の元に、殺人予告のボイスメールが複数送られてきた。ある市役所職員の家にレンガが投げつけられ、窓が割れた。市議会議員に電子メールや郵便で脅迫状が送りつけられ、米連邦捜査局(FBI)に通報する騒ぎとなった。プリンストン市では12年前にシカの殺処分を始めたとき、何者かが市長の車にシカの内臓をまき散らす事件が起きた。
自然との戦いへようこそ。米国では自然保護活動や環境保護活動が成功を収め、野生生物の生息数は増加したが、増えすぎた野生生物をめぐって人間同士が争う事態が起きている。私たちは今、野鳥や野生の動物をごく普通に見かけるが、私たちの両親や祖父母はそうした生物に出会うことはほとんどなかった。野生生物は生息数が増加すると、これまでの生息域を超えて新たなすみかを求める。そこには私たち人間が住む地域も含まれている。米国東部地域では現在、これまで地球上のどの地域も経験したことがないほど、多くの人が多くの野生生物の近くで暮らしている。
種の絶滅など生態系が苦しめられてきたことを思えば、素晴らしいニュースのはずだ。もしあなたが今日、車でシカをはねる4000人以上の1人でなければ。あるいは、子どもが使うサッカーグランドがガンのふんだらけになったり、あなたの置いた鳥の餌箱の餌を野良猫が勝手に食べたり、野生の七面鳥に植えたばかりの種トウモロコシが食い散らかされたり、ビーバーが私道を水浸しにしたり、クマがごみ箱を荒らしたりするようなことがなければ。こうしたことはまだ序の口だ。
私たちは奇跡的に野生生物を取り戻したが、たった数十年の間に、その奇跡に振り回されるようになった。今は混乱にますます拍車がかかり、金もかかるようになった。どうしてこんなことになってしまったのか。答えは簡単。過去2世紀の間に森が再び育ち、過去1世紀の間に野生生物が戻り、過去半世紀の間に人間が郊外に住むようになったからだ。
森林の再生は19世紀のニューイングランドで始まった。当時は、農業従事者は狭い放牧地を放棄して、開通したばかりのエリー運河の先にある肥沃で比較的平らな土地でできた安価な飼料用穀物を買い始めたところだった。その後、石油由来の肥料やガソリンで動く機械が導入され、米国中西部の農業の生産性が高まった。農耕や運搬に家畜を使うことは時代遅れとなった。その結果、家畜を養うために使われていた7000万エーカー(約28万平方キロメートル)もの土地が自由になった。一方で、多くの農業従事者が都会で働くことを選んだ。そうした土地の多くに再び木が育ち、第2次世界大戦後に、今度は非農業従事者がその土地に移り住み始めた。
現在、米国の東側3分の1に米国最大の森があり、人口の3分の2が住んでいる。19世紀以降、森が再生し、この地域の土地の60%を覆うまでになった。米国森林局によると、ニューイングランドでは、1630年の時点で木が生えていた土地の86.7%で森林が再生した。ハーバード・フォレストのディレクター、デービッド・フォスター氏によると、1200年前にマヤ文明が衰退して以降、南北アメリカを通じてこれほどの規模で森林が再生したことはないという。ハーバード・フォレストはハーバード大学の生態系研究ユニットだ。マサチューセッツ州とコネティカット州は米国で3番目と4番目に人口密度の高い州だが、2007年には、マサチューセッツ州の63.2%が、コネチティット州は58%が森林で覆われるようになった。これには木が植えられた郊外や準郊外と呼ばれる居住地は含まれていない(しかし、こうした地域の多くに、人間やインフラがなければ本物の森林と呼んでいいほど多くの木がある)。
営利目的のハンターや開拓者が羽や毛皮、皮革や肉を狙って野鳥や野生動物を制限なく捕まえる時代がおよそ350年続いた。それがエスカレートして、19世紀後半には乱獲が行われ、野生生物の生息数は激減した。全ての始まりは重さ50ポンド(約22.6キログラム)の野ネズミだった。
「毛皮交易」とは、米国で初めて商取引の対象となった動物、ビーバーの大量殺りくを遠回しに指しているにすぎない。かつては4億匹といたされるビーバーだが、その生息数は19世紀後半までに約10万匹に落ち込んだ。生き残ったビーバーのほとんどがカナダの奥地にいた。1894年までには、米国東部に残された最大の森アディロンダック山地にいたビーバーは1家族5匹だけとなった。
ビーバー以外にも、オジロジカの生息数はコロンブスのアメリカ大陸到達以前には3000万匹いたと推定されるが、1890年までに約35万匹に減ったとみられている。七面鳥の生息数は1000万匹から1920年までにたったの3万匹にまで激減した。渡り鳥のガンやカモも減った。熊やオオカミなどの「害獣」と呼ばれる動物はほぼ絶滅した。リョコウバトは絶滅間近だった。ハチドリの羽がついた皮は女性の帽子の飾り用に1つ2セントで売られていた。
取り締まる法律はあったが実効性に欠け、厳しい取り締まりも行われなかったため、大殺りくはなかなか止まらなかった。しかし、自然保護活動家が徐々に力を付けた。1898年にニューヨーク州知事に選出されたセオドア・ルーズベルトは羽を狙うハンターが女性の帽子の飾りとしてシラサギやアメリカシロヅルなどの珍しい浜鳥を殺していることに激怒して、ニューヨーク州でのこうした羽の販売を非合法化した。大統領になると、ルーズベルトは米国初の野生生物の保護区と国有林を定めた。
野生生物の生息数は増えたが、いいことばかりではなかった。1907年には、ミシガン州のオジロジカ50匹がペンシルベニア州に送られた。11年後には、ペンシルベニア州の森林監督官や野菜栽培業者が「シカが多すぎる」と苦情を言っていた。今でもそう言われている。しかし、多くの土地では1950年代や1960年代にはシカ(またはガン)を見かけることは非常に珍しく、見かけたことが地元紙で報じられるほどだった。
1901年から1907年までの間に、カナダから持ち込まれた34匹のビーバーがアディロンダック山地に放たれた。天敵もなく、わなも仕掛けられなかったため、ビーバーの生息数は1915年までに1万5000匹に増えた。現在、ビーバーは水流と木があるところならほぼ、どこにでもいる。ビーバーは環境に優しい素晴らしい技術者だ。ビーバーはいわゆるキーストーン種で、ビーバーが作るダムによって湿地が形成され、数えきれないほどの他の種がその恩恵を受けている。ダムは汚染物質も濾過するし、浸食を低減したり季節ごとに起きる洪水を抑制したりする効果もある。問題は、ビーバーが私たち人間と同じように水辺に住むのを好むが、人間とは違って景観に関心がないことだ。人間が私道を設置すると、ビーバーはそれを水浸しにする。人間が高価な木を植えると、ビーバーはそれをかんで倒してしまう。米農務省の推計では、ビーバーによる被害の総額は他の野生種による被害の総額を超える可能性があるという。
カモやガンの復活はなかなか進まなかった。長い間、営利目的やスポーツを目的としたハンターが鳥を生かしておいて、渡り鳥の水鳥を引き付けるためのおとりに使っていた(おとりには木でできた複製も使われた)。生きた鳥の使用は1935年まで法律で禁じられていなかった。カモやガンは何世代にも飛来してこなかった。法律で捕獲が禁じられた鳥は新しく設置された保護区に放たれた。そうした鳥が渡り鳥の群れに加われば、生息数が増えると期待されていた。しかし、放鳥された鳥はその場にとどまった。ゴルフコースや公園、運動場、会社の敷地内にある芝生、航空機の航路を占拠している、400万羽ともいわれる定住性のカナダガンはその子孫だ。
2000年の国勢調査によると、米国人の過半数が都市部や農場に住んでおらず、その間にある広大な土地で暮らしていると知ったら、環境保護運動を始めた人たちは驚いただろう。初期の環境保護活動家は人間の住まいが郊外に広がることも、人間と野生生物の間で衝突が起きることも想像していなかった。野生生物の保護活動家は、衝突が起きているのは人間のせいだ、人間が野生生物の生息地に侵入したからだと言うが、それだけではない。人の数が増えて、住む場所が広がる一方で、多くの野生生物も人間が住む地域に侵入している。人間を怖がると考えられていた七面鳥やコヨーテさえも、だ(シカゴだけでも、推定2000匹のコヨーテがいる)。
なぜかといえば、人間の住んでいるところは野生生物の生息地よりもいいからだ。人間が住んでいる場所には食料や水、すみかや身を守る場所が豊富にある。人間は草木や低木を植え、庭を作る。鳥の餌を置いたり、植物の根に覆いをかぶせたり、ゴミを出したりする。
郊外の住宅地は人のいない森よりはるかに多くの生物を養っている。多くの種にとって、郊外の住宅地の生物学的収容能力(食料や住まいの点で支えられる人口の上限)は森林の収容能力よりもはるかに大きい。生態学上の収容能力(ある種が生息地やそこに住む他の動植物に悪影響を与える限界)の点では、郊外の住宅地は必ずしも森林よりも大きいとは言えない。多くの種にとって難しいのは社会的な収容能力で、これは主観的なものだ。社会的な収容能力とは、ある生物が引き起こす被害と恩恵を比べ、世間的に見て、被害のほうが大きくなる限界点を指す。現在の野生生物との戦いの多くはここから始まっている。
どうしたらいいのか?野生生物と共に生きる方法を学ぶべきか。野生生物を移動させたほうがいいのか。人に近づかないような手立てを打つのか。不妊化か。それとも殺処分か。どの手段、どの生物にも支持者がいる。鳥好きもいれば、猫愛好家もいる。残酷なわなからビーバーを助ける人もいれば、ビーバーの氾濫から庭や道路を救おうとする人もいる。子鹿を助ける人は森や庭を守る人と対立する。
野生生物学者によると、私たち人間は人間を含めた全ての住民の利益のために生態系を管理すべきだという。そうしたくない人や方法がわからないという人が大勢いる。私たちは祖先が行った破壊的な自然へのアプローチだけでなく、自然と付き合うための実践的なノウハウの多くと縁を切ってしまった。自然についての知識は今ではテレビの画面が教えてくれる。テレビが野生生物を抱きしめたくなるような小さな人間のように映し出すことは珍しいことではない。そして、地球環境を守らなければならないという本能が私たちにそうした野生生物を保護するよう命じるのだ。動物愛護運動家は、殺処分、間引き、致死処分、婉曲表現を使って言うなら「人間の指示による死」は残酷で、空白が生まれてもさらに多くの動物がやってきて埋めることになるだけだ、と指摘している。同じ理屈で言えば、なぜ私たちは庭の雑草を抜いたり、地下室にいるネズミを捕まえたりするのだろうか。
殺処分に反対する人は大抵、野生生物に避妊を行うべきだと主張する。シカ向けの実用的かつ手頃な価格の避妊薬が間もなく開発されると言われたのが30年前だ。今でも状況は変わっていない。閉鎖された場所(フェンスで囲われた場所や島など)に住むメスのシカにはPZP(ブタ透明帯)の注射をすることができるが、注射1回につき25ドルかかり、その上、シカに注射をするためのプログラムを立ち上げて運営するには1匹につき1年で数百ドルの費用が必要になる。放し飼いのシカについては、考えるのはやめておこう。カナダガンに避妊薬「オボコントロール」を与えて、卵が孵化しないようにすることはできるが、1シーズンごとに1羽につき12ドルかかる。あとの計算は皆さんにお任せする。
野良猫については、TNRが有効だと言われている。野良猫を捕獲して(容易ではない)、不妊手術を行い、捕獲した場所に返すのがTNRだ。ほら、もう野良の子猫は生まれてこない!米獣医学協会はこの手法を幻想だと言う。野良猫は常に6000万匹から9000万匹いて、野良猫の総数を減らすには不妊手術を受ける猫の割合が少なすぎるからだという。こうした猫を元の場所に戻せば、鳥の保護団体を激怒させることになる。
住宅地をオオカミやクーガーがうろついても構わないかのように、天敵を連れてくる方法を提案する人もいる。しかし、こうした人たちはシカの天敵がすでに存在していることを見逃している。シカの天敵は私たち人間だ。実際、最終氷河期以来、シカの最大の天敵は人間だったことが研究によって示されている。だが、私たちは安全という名の下で、住宅地で銃の使用を制限し、猟を禁じて、たった数十年の間に天敵としての仕事から手を引いてしまった。突然、1万1000年間で初めて、私たちはオジロシが昔から住んでいた場所の中に最大の天敵が手を出せない何十万平方マイルもの聖域を作ってしまったのだ。
マサチューセッツ州では、舗装道路から150フィート(約46メートル)以内、または占有されている住宅から500フィート以内の場所で所有者の書面による許可がないまま、小火器を発射することは違法とされている。この制限だけで、州の約60%の土地で銃を使った猟ができなくなっている。また、同州の351の自治体の半数近くが弓による狩猟の制限などさらに多くの規制を定めている。多くの州や町も同様の規制を実施している。
地方政府が射撃手を雇ってシカを殺処分するケースは増え続け、住宅の所有者はビーバーやガン、コヨーテなどを殺すための害獣捕獲機などを屋根裏に置いている。町や企業、土地所有者が抱えるシカ問題についてコンサルティングを行うナチュラル・リソーシズ・コンサルタンツ(ペンシルバニア州フォート・ヒル)の社長を務めるブライオン・シスラー氏はシカを殺処分するのに射撃手を依頼するように勧めることがある。町が地元のハンター(警官や消防士など)をシカを射止められるように訓練して、そのシカ肉を地元の市場で売って費用を回収することもできる、ともシスラー氏は考えている。純粋な野生動物の肉を売ることは現在、米国では違法とされているが、この法律は変わるかもしれない。
米国魚類野生生物局の調査によると、米国のハンターの数は数十年間減り続けてきたが、2006年から2011年にかけて9%増加した。しかし、最も必要とされる場所でもハンターは活用されていない。安全ではないと思われているからだ。だが、そういった認識も変わりつつあるのかもしれない。一部の町では、シカよりもハンターに対して寛大になりつつある。米国で銃によって殺される人間は年間3万1000人もいるが、ハンターによって殺される人間は約100人で、そのほとんどが互いに撃ちによるものであることが指摘されている。一方で、シカが原因で死亡した人は年間250人以上で、犠牲者は車を運転しているか車に同乗している人だ。入院した人は3万人に上る。一部のコミュニティーでは、ハンターの選抜を行い、弓か矢、射程の短い猟銃のみの使用を認めている。
マサチューセッツ州ウェストン市の事例は心強い。ウェストン市はボストンの郊外にあり、深刻なシカの被害に悩んでいる。ブランダイス大学の環境学准教授、ブライアン・ドナヒュー氏は市の自然保護委員会の委員を務めている。同委員会はこの秋、制限つきで弓による狩猟を試験的に認めることを決定した。ドナヒュー氏はリベラルな近隣住民の一部が「狩りはいいことだ。自然を管理する上で最良で最も責任のある方法の一つだ」と考えるようになると予想している、と話した。
「私が夢見ているだけかもしれないが、ハンターは郊外の新たなヒーローだ」
―ジム・スターバ氏の新著「Nature Wars: The Incredible Story of How Wildlife Comebacks Turned Backyards into Battlegrounds(自然との戦い:野生生物の復活でいかにして裏庭は戦場になったのか 驚くべき物語)は11月13日にランダムハウスのクラウン・パブリッシャーズから刊行予定。
白い壁、大きなガラス窓、ロサンゼルスの市街地の眺望。コルビ家の家はハリウッドヒルズに建つ他の多くの近代住宅と似ている。しかし、近隣の住宅とは大きく異なっている部分もある。その家は考え得るあらゆる破滅のシナリオにも耐えられるように造られている。大嵐、大地震、山火事はもとより、全国的な流行病、まれだがさまざまな害を及ぼしかねない核爆弾・太陽フレア・特殊な武器などによって発生する高周波電磁パルスなどからも身を守れるというのだ。地下にあるワインセラーはいざというときには地下掩蔽壕(えんぺいごう、身を隠すための上部などを覆った壕)にもなる。それでもダメなら、最後の手段として屋上のヘリパッドから緊急脱出を図ればいい。
新しいタイプの安全性を追求する住宅建築業者や住宅購入者が増えている。ハリケーン、竜巻、今週東海岸に大きな被害をもたらした大型の温帯低気圧「サンディ」のような自然現象から住居侵入、核戦争といった人為的脅威まで、あらゆるものに対処できるように造られた住宅。ハリケーンの通り道では、復興に取り組むなか、次の自然災害に備えて改築を行っている人がいる。すべての災難への対抗措置を講じようとしている人もいる。こうした要塞のような住宅の増加に拍車をかけているのは新しい技術と、嵐や地震の被害を受けやすい地域でいずれは広く使われることになるであろう建築素材である。
米フロリダ州マイアミに拠点を置くコースタル・コンストラクションのショーン・マーフィー氏は南フロリダで、ある顧客のために大型ハリケーンやそれをしのぐ災害にも耐えるように設計された敷地面積3700平方メートルの水辺の邸宅を建設している。身元が明かされていないマーフィー氏の顧客は、防水のためのゴム入り素材で包まれ厚さ2.5センチの石で覆われた厚さ30センチの強化コンクリートの壁を注文した。通常の防災建築技術で必要とされるのは、厚さ20センチの防風・防水住宅用の複合コンクリートブロックである。
「基本的には掩蔽壕のような住宅だ。大型の嵐や洪水など、なにが来てもこの家が壊れて流されるということはない」とマーフィー氏は言う。
新しい住宅開発地のなかには購入者のあいだで関心が高まっている嵐に備えた設計を売りにしているところもある。フロリダ州のメキシコ湾岸に面した高級臨海コミュニティ、アリスビーチは6万4000平方メートルもの広さを誇る。中庭付きのバミューダやグアテマラの邸宅を彷彿とさせ、強風にも耐える設計の住宅の価格は160万ドルからとなっている。その屋根は石灰石で2層コーティングされ、80センチおきに強化された厚さ20センチのコンクリートの外壁は、販売資料によると「掩蔽壕のような」安全性を実現しているという。
米中西部ではスティーブ・ハフ氏が究極の耐竜巻住宅を建てようとしている。ソフトウエア会社を興したハフ氏は、ミズーリ州クリスチャン郡に敷地面積が6500平方メートルもある強化コンクリート製のシャトースタイル邸宅を建設している。「ペンズモア」と名付けられた大豪邸の壁の厚さは30センチ、窓には大嵐のときに2×4インチの断面の木材が時速65キロで飛んできても壊れない防弾ガラスが使われている。「竜巻が来たら、この家にいるのが一番安全だ」とハフ氏は言う。
コンクリート会社への投資も行っているハフ氏によると、この家は侵入者にも強く「銀行の金庫室に穴を開けて侵入するぐらい難しいだろう」と主張する。
2014年の初めに完成すると、ペンズモアは米国で個人が所有する最大級の住宅となる。ハフ氏は多くの近親者の他にも、この家の建設に生かされた安全技術や環境的に持続可能な技術を学ぶことを望むライター、科学者、学生などをこの邸宅に滞在させる予定である。
自宅所有者や住宅建設業者は自然災害により強い家にするために、ここで使われた技術の多くをより広い範囲で生かすことができるという。たとえば、ヘリックスファイバーを中に入れることでコンクリートブロックはわずかだがゴムのように曲がるようになり、衝撃への耐性が増すことになる。これは最小の追加コストで実現できる。
フロリダ州住宅建設業協会の政府問題責任者、ダグ・バック氏によると、いくつかの過剰な建設技術は経済的に見てほとんどの自宅所有者の理にかなわないという。「収穫逓減の法則が働いてしまうのだ。大金を注ぎこみすぎるよりも、倒壊させて建て直した方がよっぽど経済的な場合もある」
そんなことは意に介さず、あらゆる危機から自らを隔離しようとする富裕層は多い。ニューヨークに拠点を置き、富裕層向けに設計・建設に関するアドバイスを行っているポラック・プラス・パートナーズの社長、クリス・ポラック氏は最近、空気や水にも困らない放射能汚染爆弾用のシェルターが付いた家を建てたいという顧客に雇われたという。食糧やその他の供給品の備蓄もあり「その家族は外気にさらされることなく快適な生活を送ることが可能だ」と同氏はいう。敷地内の別の場所や近くの建物とつながっていて、住人が避難に使えるトンネルの人気も高まっている。ポラック氏の見積もりでは、顧客が防犯・安全機能に費やす金額の平均は、5年前と比較すると少なくとも50%増加しているという。
ドン・ボーム氏は米カリフォルニア州マリブのすぐ北に位置するカマリロにある丘の中腹に地震と侵入者に強い家を建てた。コンクリートの土台に擁壁を固定するのにコンクリートと鋼ボルトの複雑なシステムを採用している住宅は全長180メートル、高さ4.5メールの塀で囲まれている。この家は現在、690万ドルで売りに出されている。
前出のハリウッドヒルズの家を所有するコルビ氏はSAFE(戦略的装甲と要塞化された環境の略語)の創業者で、住宅に地下30階までの深さの掩蔽壕を併設することができるという。同氏は屋外にいるような気分を出すため、ラスベガスのシーザーズ・パレスのように天井に雲を描き、スパ設備や映画館を備え、家族が数カ月間快適に暮らせるだけの供給品を備蓄できる掩蔽壕を設計した。最も手の込んだ施設の建設費用は1000万ドルを上回ることもあるという。
コルビ氏はロサンゼルスの自宅を家族のため、そして最新のハイテク災害対策、防犯設備を潜在顧客に披露するために建てた。スチールで覆われたコンクリート製で深さ9メートル、直径76センチのケーソン60本の上に建設された家は、大地震にも耐えられるように設計されている。
同氏の家のいたるところには、複数のカメラを使った顔認識システムも設置されている。侵入者を驚かせるためのガス噴射装置も一瞬のうちに起動できる。使用できるガスの種類は幅広く、無害だが方向感覚を失わせるものから吸い込むと衰弱状態が最高で24時間も続く有毒なものまである。
コルビ氏の家には、主寝室と子供部屋を包含する防弾素材でできた185平方メートルの部屋「セーフコア」もある。住人を隔離し、侵入者との接触が最小限になるように設計されたこの部屋は、同氏の顧客の家でもよく採用されている。同氏はかつてこの家を580万ドルで売りに出していたが、現在は売っていない。
自宅に使われた多くの技術はどの家にも簡単に生かせるはずだとコルビ氏は言う。たとえば、乾燥壁を取り付ける前に厚さ2センチ弱の合板を追加するだけで、壁の防災・防犯効果は大幅に増す。これには200ドルほどしかかからないという。空気感染する病気から身を守るには、各換気口にHEPAフィルターを設置し、エアコンからの気流を少し強めにすることで、余分な空気の排出が外気の流入を防ぐ陽圧環境を作ればいい。